日下部 一司 [クサカベ カズシ]

止、という文字。 (SMC PENTAX 1:1.2 50mm)

老人もあるけば・・・。 (SMC PENTAX 1:1.2 50mm)

滋県立美術館で開催されている[BUTSUDORI ブツドリ:モノをめぐる写真表現]を見た。 古い時代の写真が多かったが、自分にはいつも新鮮に感じられる。 何がどのように写っているかということと同じように、支持体にどのように定着しているかということを観察できるためだと思う。 写真は物体だ。 いつも支持体と関わる。 同展のワークショップコーナーに用意された「ブツ」を撮って遊んだ。 (iPhone )

円い風景を「円景」と呼ぶことにした。 (RICOH GRⅡ DIGITAL)

4×5カメラの「あおり」操作を思い出す。 (iPhone)

家には窓がある。 (iPhone)

線の作る三角形の領域に雲が入った。

この場所に来たらこのように見える。

タラの木が二本植わっている。相似形で遠近感を持ってそこにある。

奈良公園にて

枝が伸びる。

耕運機の車輪の跡だ。 大胆に笑っている。

風で揺れた動きの痕跡に時間を想う。

瓦のゆがみと壁の傾きが、雨によるドローイングを見せていた。

手前に樹木が立っていて、後方から光が当たる。 すると壁面に木々の姿が現像された。 自然現像現象だ。 「現像」と「現象」は文字が似ている。

松が横たわっている。 こういう在り方は、松にとって楽なのだろうか。 ベンチのような形になって、人間が休むにはちょうど良い。

マンホールにたまった水と、それに映る風景の様子。

日の傾きで風景が変わる。

歩道の直線と手すりの影がぴったりと重なる時刻。

被写界深度の浅いこういう見え方は写真特有の風景だ。

自動販売機などのような物体が ここに置かれていたと思われる。 最初に何らかの設置物があって、あとから壁の色を塗ったのだ。 図と地が反転し、塗り残し部分が描画部分に感じられる。 無造作な筆タッチがいい感じだ。 緑色の配分が特に良い。

工事壁が美しい。

欠けた円を「病円」というのだそうだ。 レンズは映像を円形に映す。 それをイメージサークルという。 写真は通常この範囲内の画像を四角く切り取る形で提示される。 イメージサークルが小さいと、四角い画面の中で上の写真のようにケラレが生じ周辺が暗くなる。 結像する光の様子が記録された写真のようで、写ることの原初的な感動を追体験できる。 ケラレは写真としての矩形が欠けたことだ。 この欠けた矩形をなんと呼んだら良いのだろう。 病んだ矩形・・・「病矩形」かな・・・。 病んだ、という表現はコロナの時期だけに気にはなるけど。 撮影に使った NEWYI 35mm F1.8 というレンズは大暴れする。 開放で撮ったら、もう手がつ けられない。 そういう写りもまた原初的な体験かな。

猿沢池の水面に映る樹木が柳の枝にとらえられた風景。

ここを通ると必ずこの場所を撮影する。 いわゆる「トマソン物件」だ。 色合いと佇まいが美しく、写真にすると また違う存在感が現れる。 被写体は自分に必要な比率の矩形を撮影者に求めているように思う。 写される相手がカメラのアスペクト比を選ぶのだ。

矩形という眼差し

フレームの境界に太陽が来るような撮影を始めた。円形写真で何度か試みている方法だが、矩形ではどのような写真になるのだろう。

こんな写真も飽きてきた。しかし、気になるから撮る。 (インダスター50/3.5)
